蜻蛉祭見学ツアー(2009年7月18日(土曜日))に参加して

関西を離れて1年3ヶ月、関西支部東京出張所長の肩書きを拝命し今回の蜻蛉祭見学ツアーの実行委員に奴久妻さん(30回卒)と共に指名されたのにも拘らず、名前だけで全てお任せ、まさに参加することに意義ありの状態でした。

せめての償い?として感想文を書かせて頂きます。

「せっかく幟を持って来ているんだから、正門の前に立たなければ分かんないぜ」という田中さん(8回卒)のお言葉を受け、宮坂さん(28回卒)と共に子林さん(26回卒)がデザインされた真新しい深志同窓会関西支部の幟を正門前で掲げたところから今回の見学ツアーが始まりました。

深志現役先生の小澤さん(30回卒)のご配慮で玄関横に関西支部蜻蛉祭見学ツアー控え室をご用意して頂き、西宮と松本を行き来している渡辺さん(7回卒)、有田支部長(13回卒)、松本出張所長の上杉さん(30回卒)を始め、懇親会でご一緒させていただく15回卒の伊藤さん、金岩さんとご挨拶をした後、急遽参加した31回卒の久保田君も交え、生徒会から派遣されたかわいい女生徒の案内で懐かしい一棟の校舎から各部の発表を見学して廻りました。

幟を持った不思議な集団、3年前の夜行軍でのマスク軍団といい関西支部には不思議な集団が似合っているかもしれません。

途中、15回卒の金岩さんが私と同じ地歴会の出身ということが判り、機関紙「あぜみち」を何十年振りに触れることが出来ました。

ただ、現在の地歴会の部員数が4名ということで、私の在籍していた時には同学年だけでの20名を超えていたことを思うと隔世の感を受けました。特に当時、最大勢力であった考古班は全く活動をしていないとのことで寂し限りでした。

当時、考古班は3月の一週間に及ぶ発掘に始まり、4月の土器洗いとネーミングと分類、6月からの土器の復元から夏休み中の住居の考察と教室に展示できないほどの発表で、蜻蛉祭直前の追い込みでは郷友会の灯篭造りと寸劇の練習もあって、3日で10時間の睡眠だったのを記憶しています。

でも、この生活は多くの深志生では決して特別な姿ではなく、もっとハードな日々を送っている者が沢山いました。

屋上での記念撮影を終え、一旦控え室に戻ったのち、音楽部と吹奏楽部のコラボである深志ケ丘交響楽団のオーケストラ演奏を体育館で聴きました。

志音会というOB会組織がしっかりしている音楽部の成果を間の当たりにすると、作品という形がはっきり残る文芸関係部に比べ、やや地味な研究発表という文化関係部の違いがあるのかなと思い、改めて地歴会の後輩には頑張ってもらいたいなあと思いました。

校舎を取り囲む灯篭の数、規模が小さいのには驚き、全体としてはエネルギーの塊みたいと思っていた自分達の時代の蜻蛉祭との違いを認識せざるを得なかったことは時代の流れと割り切ってもちょっと残念でした。(きっと、我々の時も先輩から変わってしまったと嘆かれていたと思いますが)

 懇親会の会場は裏町にある「みや寿司」でしたが、深志から幟を先頭に徒歩で移動しました。ここで、15回卒の皆さんとの合同懇親会となった経緯、関西支部の紹介に始まり宴会が進行していきました。

懇親会から参加された、竹川さん、藤田さん、百瀬さんの15回卒の面々に加え、松本在住の高山さん(19回卒)、京都の家屋見学でもお世話になった建築家の川上さん(20回卒)、小野酒蔵の小野さん(28回卒)と多士済々の皆さんが年代を超えた交流を深めていきました。

各々の自己紹介(今回は普通に自己紹介)では途中での解説からしばし話題が飛びましたが、一巡すると更に知り合いが増えてますます盛り上がっていきました。

そこで15回卒の皆さんの日頃の活動と周年記念誌の内容のすばらしさに驚かされました。

ただ昔を懐かしむだけでなく、お互いの向上を求めて刺激を与え続けることが深志生の団結の礎だと強く感じました。

 今回は蜻蛉祭見学ツアーの初回ということでお知らせも充分ではなかったため参加者が少数でしたが、今後は参加者を増やし、関西支部の活動を紹介しながら、学生には是非、関西の大学への進学を勧めれることができればと思います。


文責:31回卒 土川