2019春のハイキング



 3月30日、痛みに顔を歪めながら読みかけの本を開いていると、子林さんから「今日の催行記お願いできますか」というLINEが届いて、驚きのあまり腰を抜かしそうになった。今までは他の参加者に依頼が飛んでいたので、他力本願が身に染み付いた私はすっかり油断していたのである。はて困ったぞ、深志生にあるまじき主体性の無さがここに響いてきたか・・・本を閉じてその日の出来事に思いを巡らすと、ぼんやりとハイキングの情景が浮かんできた。


 京都の蹴上駅の改札前に集まったのは午前9時、春休みを謳歌する多くの大学生が眠り始めるであろう時間であった(御多分に漏れず、私もその一人であった)。葉のない寂しい枝にわずかに華が咲いていて、春の訪れを感じさせるそんな朝に、元気な若い声がきこえた。例年、私か私より少し学年が若い人が最年少であったはずだが、この日は起さんのお孫さん(9歳)が参加され、平均年齢が一気に若返ったのである。先導する18歳年下の元気な姿を追いかけながら、しばらく住宅街を横切り、気がついたらコンクリートで出来た小さな橋のあたりに居た。少し前にここを過ぎ去ったであろうボートの、低くうねるようなモーター音を皆んなして静かに聞いていると、トンネルの入り口に文字が刻んであることに気がついた。

「過雨看松色」
 近くに建てられた看板によると、松方正義の字だそう。これが日本人に馴染み深かった『唐詩三百首』に収録されている劉長卿の五言律詩から採用したのだとすると、その詩は次のようになる。
劉長卿 尋南溪常山道人隱居
一路經行處  莓苔見履痕。
白雲依靜渚  青草閉間門。
過雨看松色  隨山到水源。
溪花與禪意  相對亦忘言。

東洋文庫の目加田誠訳を参考までに記すと以下のようである。
ひとすじの小径(こみち)を行けば
苔の上に僅かに人の通ったあと
白雲は静かな渚(なぎさ)にただよい
緑草はひっそりとした門を封じている
雨過ぎたあとの松の色の鮮かさ
山にそっていくめぐり
ようやく水源に至る
溪間の花とわが禅定の意と
相対してもはや人の世のことばを忘れた


 琵琶湖疏水の水門を目指す我々がまずこの石額と出会ったのは、まさに今回のハイキングを予感するものであった。山に沿って歩いて行けば、水源なる琵琶湖に到るであろう。雨上がりの松の色はいかほどであろうか。溪あいの花を見て何を想うのだろうか・・・



 道中、豪雨に遭遇して下山を一時決めたものの、浅輪さんの「予言」通り間も無く雨が上がった。ちょうど時間もよかったので、その場で昼食休憩をとることになった。恒例となった子林夫婦がふるまう美味しい珈琲で身体を温めると、雨上がりの松はいかほどかこの目で確かめようじゃないか!という気持ちになっていて、昂ぶる気持ちのままに再び歩き始めた。コース上にポツポツと見える松は(現金なことに)これまでの道中の松よりもたいそう美しく感ぜられ、禅意(静かなる心)とは裏腹に興奮しきっていた。花も見たいなと思い歩いていると、しだれ桜で有名な毘沙門堂に立ち寄ることとなった。満開とはいかないが、かえって趣があるように感ぜられるほど興奮していたのは、やはり詩のせいであろう。さて、劉長卿の詩は常道士なる人物を訪ねたことを詠んだものなのだが、目的地についても訪ねる相手のいない我々は美酒と美食を求めに地元の中華料理屋に足を伸ばすことと相成った。



 と、このようにツラツラと駄文を記したが、文章には当然脚色が付き物である。道中の愉快な会話の数々も全て載せるわけにはいかないし、お酒を飲めば記憶が飛ぶのは世の常であるし、記憶違いも多々あろう。またなにせ無教養なので、松方の採用した漢詩の元ネタなどもちろんパッと出てこない。携帯で検索して「なるほど『唐詩三百首』か(よくわからん)」などと言いながら歩いていた無粋な人間であったのに、さも元ネタの漢詩を知っていたかのように叙述したのは薄っぺらい見栄からであった。文章は見栄を張っているが、書き手の私は背中に湿布を貼っている。これは要するにハイキングの代償である。日頃の運動不足を恨みながら筆をおくこととしたい(筆は使っていないが)。

 文責:中村慎之介(62回卒)

ハイキング一週間後の満開の様子