事務局・支部長退任のごあいさつ    有田 直之(13回卒)


 1966年10年間はどんなことがあっても我慢をし、そこで立ち止まって考えようと決心をし、東洋紡社員として社会人の第一歩をスタートしました。以来、残業200時間を形式的に超えないよう指示する労組書記長との大喧嘩をはじめ、違うと思うことは相手の肩書を無視して社内を走り回りました。
 10年経った時、素晴らしい会社と恵まれた状況の中で、65歳位までの自分の生活がすっかり想像できましたので、一度しかない人生と思い切って退職させて頂きました。最後の日に尊敬してやまない上司から、そこで止まっていた私を非難する手紙の束を見せられました。
迷うことなく、アキツの名を使わせて頂き、14年目から独り立ちしました。心細い私を支え励まして下さったのは同窓会の大先輩方でした。途中までは事務局長横内さん(5回卒)のお手伝いを、後半はずっと事務局としての仕事をさせて頂きました。体をこわされた多田支部長(6回卒)を引き継ぎましたがこのような会では事務局が生命と、引き続き事務局も担当させて頂きました。
 当初一番悩んだのは通信費の工面でした。60名位の総会出席者の会費の1/3近くが約600名の会員への通信費に化け、会場への料理等の支払いは半分位という状況から、通信費を皆様の寄付で賄う提案を先輩の方々に了承して頂きました。本来は支部会費を徴収してそれを基にすべきです。しかし流動する会員の把握が正確に出来ないこと、支部には入った覚えがないというご指摘のように「支部会員」の定義も曖昧ななかで「会費」という義務を伴う表現に当然考えられる未納の人との公平を保つという観点から、自由意思による寄付という形式を取らせて頂きました。おかげで毎年100名位の皆様からの寄付で支えて頂けるようになりました。
 功なり名をあげた人達だけでなく、色々な立場の同窓生が、ふと戻れるような同窓会をと念じてきました。まだまだやりたいことも多くありますが、一方で私の卒業年次から50年以上も経って(今年平成25年春の卒業生は65回卒)若い人々にも参加をして頂くうえで、若い人々による運営も大切と支部活動から引かせて頂く決心をしました。運営の実質をになう事務局をしながらでは若い世代の皆様の為にならず、邪魔でもありますので、事務局も含めて、完全に引かせて頂くことにしました。
 新支部長の平出さんは京大医学部の要職にありながら、救急医療の現状に危機感を覚え、近大の救急医療センターに移動された使命感の強い人です。現役時代の生徒会長として自治を統率した人柄と社会人としてのたくましい経験で支部を引っ張っていってくれるものと確信します。
 私事まで含み、過去の報告と重複もしており恐縮ですが、改めて、支部の大先輩の皆様に(すでに旅立たれた方々も含め)お礼を申し上げ、お力添え頂いた多くの後輩の皆様にお礼を申し上げます。また社業として、いろいろな業務を手伝ってくれたアキツの社員の皆様にもお礼を申し上げます。 
 ありがとうございました。